ケータイがないと 『
ケータイがないと 何もできないんで ~ ・・・』 。今朝、テレビの
ニュースで、あるTV局のインタビューに答えた女性が言っていた言葉です。下のテロップに
は42歳と出ていました。 昨日、この手の取材が多発した出来事があったようです
ネ 少し気になったのは、『
ケータイがないと 何もできないんで ~ ・・・』 の 『
何もできない』 。
特に意識などしない、とっさに出た言葉だし、別に深い意味があるわけでもないのは分かっ
ています。でもだからこそ、先ず最初に出たのがこの言葉
という点です
それだけ、今や携帯電話やスマホの普及率はすさまじく、とても便利
です。しかし一方で、これを悪用した様々な事件・事故も多くなってきました
良くも悪く
も、
昔なら考える必要のなかったことが求められる時代です
ケータイがないと『何もできない』 ・・・。 その “
ない”
時代を
私は知っています。 しかし、『
何もできない』
と感じたことなどありませんでした。それが当時
の “当たり前” だったからです。 「今」だから、昔が“不便”だったかのように思うだけ
電話さえもなかった時代があったわけです
それでも、当時の最先端の手段・手法で人々は会話し、交流し、出会っていた。それが当時
の当たり前だったから
“万能” だと思っていたケータイ、ちょっとしたところに
大きな落とし穴がありました
万能が故に、被害や迷惑、不便を感じた人の数も
半端ね―ってところでしょうか?
そうそう、先述の42歳の女性、ケータイが “ない” 時代を知って・・・いる?いない?
玉井小学校の児童たち、
生まれた時からケータイがありました でも・・・、ないから
と言って、『
何もできない』
人になってほしくありません